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~チャレンジ!チャンスは自分でつかむ!!

第55次南極地域観測隊越冬隊員 塚本 健二さん
~チャレンジ!チャンスは自分でつかむ!!~

     

 

 

       塚本さん

 

 

 今回インタビューしたつくば市の職員である塚本健二さんは,南極越冬隊に自ら応募して,1年2ヶ月間を南極で活動しました。
 思い切ってチャレンジした成果を,「街づくり」という自分の仕事に生かしていきたいという塚本さんに,応募したきっかけや南極での活動について伺いました。

 

市の職員から南極越冬隊員へ

  

  ーつくば市の職員である塚本さんが南極に派遣されたきっかけを教えてください。

 

 庁内で公募があったことがきっかけです。これまでの経験を生かして、自分が「南極観測隊員」として、昭和基地で同じように仕事ができるのかどうか試したかったというのが一番大きな理由ですね。もともと自分の仕事スキルが国家事業に通用するのかなという気持ちがあり、それに挑戦できるチャンスだと思い応募しました。「南極観測隊員」はたまたまそこにめぐって来たチャンスだったわけです。同じ時期に別のチャンスがあったら、また違ったかもしれません。例えば、海外の別の場所の挑戦だったかもしれないし、民間企業への派遣だったかもしれません。あのとき、偶然「南極観測隊員」の選択肢が私の前に現れたのです。 

        塚本さん 

              

   ー派遣が決定したときはどんな気持ちでしたか。

 派遣が決まったときは、まず気持ちを落ち着かせ、出発までに何をしたらいいのかとか、到着後は何をしなければいけないのかを冷静に考えるようになりました。
 不思議と南極に行くことには不安はなく、寒い、誰にも会えない、寂しいという感覚より、みんながなかなかできない経験をして、地元に持ち帰って何かしらに還元したいという気持ちでした。特に南極の経験を、街づくりの一つとして生かすことができたらいいなという気持ちがあったと思います。

 

  ー南極へ行くことについてご家族はどのような反応でしたか。

 

 庁内公募に応募する前、妻は「私が同じ立場だったら行きたいくらいだよ」と言ってくれたので、迷わずチャレンジしました。派遣決定後は、私の子どもたちも「お父さんは南極に行くんだ」と小さいながらに認識してくれていました。私としても、私の姿を子どもたちに見せることによって、「そういえばうちの父親、南極に行ってたんだよな」と、成長してからも何かが心に残るといいなと思っていました。
 昭和基地では、週に1回、休日に、家族と衛星電話でコミュニケーションを図っていました。

 

  ー南極に行くまでにどんな準備をしましたか。その中で大変だったことはありますか。

 

 国立極地研究所(立川市)に派遣される前の話ですが、隊員候補者は長野県乗鞍高原の雪山で1週間ほど冬期総合訓練をするのです。主なカリキュラムは、雪の中での行動、例えばキャンプ、サバイバルだったり、また南極観測の講義などです。この訓練を通して、おのずとチームワークが形成されていきました。4月に国立極地研究所に行ってからは、まず隊員の受入れ準備を行いました。そして6月に草津で夏期総合訓練を経て、正式に隊員として決定したわけです。
 私は、南極で輸送作業や大規模な除雪作業をすることも想定し、重機の資格をとりました。パワーショベル、フォークリフト、小型移動式クレーンなども操縦できるようになりました。今まではそのような仕事をやったことはありませんが、車を運転することや機械を操作することは好きでしたので、実際、訓練は楽しかったです。今思うと全ていい経験でした。だけど、学科試験だけがネックでしたね。なんとか合格しましたけれど(笑)
 アマチュア無線の資格も取得しました。その勉強も難しかったです。試験は大変でしたけど、通らなくてはいけない道なのでがんばりました。

 

いざ南極へ 活動への思い

  

  ー南極へはどこから出発してどういう方法で行ったのですか。

 オーストラリアで南極観測船「しらせ」に乗船し、南極昭和基地へは3週間の船旅です。昭和基地に近づくにつれて、海の氷が厚くなってくるのがわかりました。「しらせ」はその氷を割りながら進みます。これが、日本から昭和基地へ向かうだいたい1万4千キロの行程です。

▲「しらせ」と

 

 

 

 

 

 

 

  ー誰とどういう活動をしたのですか。

 私の所属した第55次南極観測隊の越冬隊は24人です。全国から集められた20代から50代のメンバー構成です。観測隊は観測系の隊員と設営系の隊員とに分かれていて、それぞれのスケジュールに沿って仕事を行っていきます。観測系の隊員は気象、オーロラ、大気、地殻などを観測していて、設営系の隊員は機械や設備をメンテナンスしたり、電気や水、食事を作ったり、生活を維持するためのさまざまな仕事をしています。中には、お医者さんや大工さんもいます。
 私は庶務担当として、例えば隊のスケジュール管理を行い、みんなが自分の仕事に集中できるよう、職場や生活環境を整えることが仕事でした。また、情報発信担当としても、日本の学校などに生中継で昭和基地の様子を伝えたりしていました。今思うと、昭和基地の何でも屋さんだったと思います。

 

 

  ー仕事の中でうれしかったこと、楽しかったこと、苦労したことなどを教えてください。

 うれしかったことは、自分が計画した作業を仲間とともに協力し合いながら、スムーズに終わらせることができたときです。すべてにおいて、「準備が9割」と思っています。一緒に作業してもらう仲間にストレスを感じさせないように準備を整えて本番に臨む気持ち。これが大事なのかなと思います。
 それから、昭和基地では物が壊れた場合も補給物資がないから、機械隊員はオリジナルで作らないといけないんです。ないものは工夫して作るしかないんですよ。そういった面では、僕はそんな技術はないから、アイデアで勝負しました。アイデアは自分の知識の中だけで考えるのではなくて、いろいろな経験をしている人から知恵を拝借しました。例えば、こうした方が効率いいよねとか、前はあのやり方で失敗したよねとか、現場の状況を見ながら常にシンプルで最善の方法はないかを考えながらやってきました。そういうことは苦労したというよりは楽しかったです。
 でも苦労した作業もありました。日本から持ってきた物資を基地に運び込む輸送作業は、天候によって輸送プランが変化していきます。時間もどんどんなくなっていくし、何を優先させるべきなのかを考えて多くの方と調整を続けていると寝る暇もありませんでした。
 仕事のやり方などで悩んだときには、前次隊の庶務隊員に聞いたり、国立極地研究所のスタッフや隊長に確認したり、マニュアルどおりの仕事がひとつもないといった環境を一つ一つ乗り越えていけたのが自分の糧になっていきました。

  

  ー仕事以外には何をしましたか。

 

  休日は比較的ゆっくり過ごしていましたが、たまに屋外でスポーツをしたこともあります。例えば、ソフトボールやサッカーをしていました。数回ですが遠足にも行きました。もちろん一人行動はできませんので、遠足に行く際はグループを作り、計画をたてて、隊長に許可をもらって出かけました。
 露天風呂も2回ほど企画しました。屋外は髪の毛が凍るくらい寒いのですが、風呂のお湯はとても熱く、屋外とお湯の温度差は60℃位あったと思います(屋外-20℃、お湯40℃)。

  

  

  ー南極の自然はいかがでしたか。 

 

 オーロラはとてもきれいでした。日本ではオーロラはなかなか見ることができないので、また機会があれば見てみたいと思っています。残念ながら、実際に見ている時は、寒いし、メガネは凍るし、けっこう大変なんです。また、ペンギンもたくさん見ました。野生のペンギンは人間を危険な存在とは思っていないようで、近づいても逃げないんですよ。しかし南極条約で、ペンギンやアザラシに極端に近づくことはできないので、私たちも観測時は驚かさないように注意を払っていました。

             

    オーロラの写真

   ▲オーロラ 

ペンギンと一緒の写真

▲ペンギンと一緒に 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢物語じゃない 自分自身でチャンスをつかむ

  

  ー南極観測隊越冬隊員の体験からみんなに伝えたいことは何ですか。

 

 普段は市役所に勤務する私でしたが、南極観測という国家事業に携わることができました。このような経験から私は、南極で仕事をすることは夢物語ではなく、自分自身でチャンスをつかめば実現できるということを伝えたいです。
 みんなは南極観測隊員は選ばれたエリートのイメージがあると思いますが、決してそうではなく、一緒に行っていた隊員は自分の仕事を一生懸命やってきた人ばかりということなんです。電気の工事をまじめに積み重ねてきた電気屋さん、人の命を救ってきたお医者さん、人の喜びのために家を建て続けてきた大工さん。学者や研究者になれなくても、自分の仕事と真剣に向き合ってきた人であれば、その延長線上にこういうチャンスがめぐってくる可能性があるんですよね。私も、みんなと同じです。市役所で市民の皆様の役に立ちたいと思い働いてきました。そこでチャンスがめぐってきて、それを掴むことができました。私が伝えたいのは、物事をチャンスだと思うか、面倒と思うかという分かれ道があると思いますが、その時「チャンスなんだ」と思うことが大事だということです。
 仕事に関して、今の自分自身にも言えることなのですが、困難と思う仕事があったとしても、こんなの役に立つんだろうかと思いながらやるのではなくて、誰もがやったことない仕事だからやってみようとか、もし私がやってうまくいったら面白いよねって思いながら仕事に励みたいと考えています。そうすると、いつのまにか新たなチャレンジ、そして経験を繰り返して、それらをプラスに変えていくというストーリーができるんじゃないかなと思います。

 

一つの目標に向かって仲間との絆が深まる

  

  ー一言でいうと南極はどういうところでしたか。

 

 まず、自分の限界値を確かめることができるところかなと思いました。
 それから、仲間と絆が深くなるところだと思います。第55次越冬隊での24人だけの1年間を経験し、一人では生活できないっていうことを改めて実感しました。
 すごいと思ったことは、みんな「南極観測」という共通の目標があるから、これやろうぜって言った時には、すごく集中して一体となって物事に取り組むんですよ。仕事だけじゃなくて遊びを含め全ての物事において、みんなの一体感をすごく感じていました。朝から晩まで一緒にいると、家族みたいな感じになっちゃいますからね。みんなが一生懸命取り組んでいると自分もやらなくちゃって気持ちになるし、みんなにサポートしてもらったら、自分もサポートを返さなきゃっていう気持ちになりますから。だから私は、仲間ひとりひとりとコミュニケーションを図り、常に共通認識を持ち続けようと努力してきました。
 そうしたら最後に、みんなに胴上げしてもらって、「一緒の隊で良かった。俺らの隊で良かったよね」って昭和基地を離れるときに言っていただいたんですよね。それが一番うれしかったです。

  

          南極越冬隊の集合写真

          ▲第55次南極地域観測隊越冬隊(前列右端が塚本さん)

 

 

「普通」よりも,「変わってる」って言われることはうれしいこと

  

  ー児童・生徒・保護者の方へのメッセージをお願いします。

 

 まず、保護者の方には、お子さんがやる気になった物事はどんどん挑戦させてあげる環境をつくってあげることがいいのかなって思います。お子さんがやりたいっていうのなら、親がそれを後押しすることはやっぱり大事です。次に、僕もチャンスを大切にしたので、「これをチャンスだと思いなさい」っていうようなアドバイスをしていただくといいのかなと思います。
 また、こどもたちに伝えたいことは、「普通だよね」って言われるよりは、「変わった子だよね」って言われることをうれしく思ったほうがいいということです。「普通」っていうことは、今までの枠を超えられないんじゃないかと思うんですよ。「変わってる」っていうことは、もしかしたらみんなと違うことができる可能性があるし、これまでの枠を飛び越えることで、何か新しいものが発見できるのではと思っています。だから「みんなと違うところがあるんだ」ということはプラスだと思うし、自分の将来につなげてもらえればいいのかなと思います。私もずっと「変わってる」と言われ続けてきましたから。

 

         南極での写真

          

 

 

 

【塚本健二さんのプロフィール】

 塚本 健二(つかもと けんじ)
 第55次南極地域観測隊越冬隊員
 つくば市職員(市長公室ひと・まち連携課主査)
 
 2001年 茎崎町入庁
 2002年 つくば市編入
 2008年 つくば研究支援センター派遣
 2013年 国立極地研究所派遣
 2013年11月~2015年3月  

  第55次南極地域観測隊越冬隊の庶務・情報発信担当として昭和基地に勤務


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