京谷さんの講演会を聞いて感動した教師が自作した資料です
 元Jリーガーの新たなる挑戦!
 ― どん底からはい上がる京谷和幸さんの生き方から学ぶ ―
 

 サッカー少年にとってあこがれの存在であるJリーガー。そんな京谷和幸さんが突然の事故により,車椅子の生活を宣告される。挫折,落胆,苦悩の日々。
 しかし,彼は「車イスバスケット」と出会いどん底からはい上がる。自分の障害を「不幸ではない。」と前向きにとらえ,新たな目標に向かって精一杯生き抜く。
 京谷さんの講演会を聞いて感動した教師が,直接京谷さんに取材して作成した自作資料です。

1 資料名 「もう一つのゴールネット―京谷和幸(きょうやかずゆき)―」
                                   <中学校>

 日本のサッカーはJリーグが発足してから,ずいぶん進歩しました。今では海外でプレーする有名選手を始めとして多くの選手が海外で活躍するようになりました。今日は,そんなサッカー選手の一人の生き方を紹介しようと思います。
 名前は、京谷和幸さんといいます。京谷 さんは、北海道でサッカーの強い室蘭大谷 高校の出身で,チームの中心的存在でした。全国大会ではチームをベスト16に導き、また時には1試合の中で3点を取る「ハットトリック」を,なんと3試合連続で行ったこともありました。その活躍ぶりは,「北海道に京谷あり」と言われ,19才以下の日本代表に選ばれるほどでした。そして,1990年に現在の「ジェフ市原」の前身である「古河電工」に入団し,3年後のJリーグが開幕と同時に「ジェフ市原」のプロサッカー選手になったのです。京谷さんはプロサッカー選手として,その才能にさらに磨きをかけようと,毎日遅くまで練習に励みました。会社の同僚だった陽子さんとも婚約をし,まさに順風満帆の人生がスタートしたのです。
 しかし、Jリーガーとして脚光を浴びたのは、わずか半年間でした。「自分よりうまい選手などいない,俺が一番うまいんだ。」と自信に満ちあふれていたJリーグ1年目の11月。悲劇は突然やってきました。
 結婚式の衣装合わせの日の朝のことでした。車を運転していた京谷さんは、他の車を避けようとして電柱に激突してしまったのです。その怪我はひどく,腹から下の機能を失ってしまいました。つまり,下半身が動かなくなってしまったのです。
 京谷さんの華やかなサッカー人生は、あまりにもあっけなく,そして一瞬で終わりました。
 京谷さんにとって,車いすの生活になることは,耐え難いことでした。昨日までサッカー選手だったのに、今日からはボールを蹴るどころか,立って歩くことすらできないのです。京谷さんは落ち込みました。初めての挫折に,深夜の病室で泣き崩れました。そして目を閉じると,大観衆の前でプレーする自分の姿が目に浮かんできて,また泣きました。
 何かがなくなる瞬間は,いつも突然で,予告などないものです。京谷さんはすべてを失いました。
 でも,「二人で頑張ろうよ。」と,事故後に周りの反対を押し切って結婚した陽子さんが,京谷さんを支えました。「正直に言って私も悩んだ。でも,主人には私しかいない。私にも主人しかいない。」陽子さんは,そう思いました。
 陽子さんに支えられた京谷さんは,リハビリのつもりで車いすでバスケットを始めることにしました。元プロ選手とはいえ,車いすを動かしながらのドリブルがすぐにできるはずもありません。何度も後頭部から転倒しました。大した目標もなく,練習に身が入らない日々が続きました。
 しかし,間もなく栞奈(かんな)ちゃんが生まれました。京谷さんは「この子が誇れる父親になろう。」そう思いました。娘に,一生懸命打ち込んで生きる姿を見せたかったのです。この時から,障害を持つ人たちのオリンピックである「パラリンピック」への出場が本気の目標になりました。
 練習は本当に辛いものでした。車いすで走り回るため,手はぱんぱんにはれ上がり,タイヤを素手で止めるたびに,手のひらの皮は何度もむけました。それでも京谷さんは必死にボールに食らいつきました。そして,めきめきと上達していきました。相手をひきつけてのパス。視野の広いディフエンス。サッカーで培ったセンスはそのまま生きました。たくさんのメンバーの明るさに触れ,いつしか京谷さんは「足がタイヤに代わっただけで,何でもできる。」と感じていました。
 そして,車いすバスケットの日本代表に選ばれた京谷さんは,シドニーでの「パラリンピック」への出場が決まったのです。
 シドニーパラリンピックでは外国勢に苦戦しましたが,京谷さんは最後まで「チャンスはまだある。」とメンバーを励まし,相手に向かっていきました。そして、インタビューには次のように答えてくれました。

 「サッカーに未練がないといえばうそになる。でも,車いすバスケをやって人の気持ちが分かるようになった。だから,僕を支えてくれた人のためにも,余計に負けたくないと思うんです。それから,僕は両足がだめになってから,どん底からはい上がるためには何でもやろう,と強くなった。事故は僕の人生にとって良かったのかも知れません。」
と。京谷さんの夢は,「次のパラリンピックで,子どもたちに勇姿を見せること。」だそうです。きっと,次のアテネのパラリンピックでも京谷さんのパスがさえ渡るに違いありません。


2 学習指導案

(1) 主題名 強い意志「1−(2)」

2) ねらい

 挫折や困難に負けず,どんな時でも希望と目標をもって真摯に自分を高めようとする心情を育てる。

(3) 「心に響く」ための工夫

 @ この資料のよさ

 Jリーガーとして華やかな人生を送っていた京谷さん,ある突然の事故で,サッカーはおろか車椅子の生活を宣告される。生きる希望を失い途方にくれている主人公が,「車いすバスケット」と出会い,パラリンピック出場を目指すようになる。この資料は障害にもめげず,新たな目標をもち自分の人生を切り開いていこうとする主人公の生きざまが,読み手に強い共感を与えてくれる資料である。

 A 工夫あれこれ

  ア 基本発問2では教師の問いかけの言葉に暗さをもたせ,「天国から地獄へ」突き落とされる心情を意識させる。また,基本発問2で出て きた生徒の意見を,「どん底」というインパクトのある板書文字で生 徒の心に植えつけさせる。その後,京谷さんと同じ境遇になったつもりで,中心発問ではどん底からはい上がる彼の真相を考えさせる。

  イ 主体的な自覚の場面では十分な時間を確保する。話合いの前に「京 谷さんの生き方から学んだこと」についてワークシートに書かせ,自 分の意見をまとめさせることにより,深まりのある話合いにつながるように努める。

 B 配慮すること

 今回の授業では,中心発問でいかにねらいとする価値に迫る発言が得られることが焦点となる。つまり,うわべだけでない京谷さんの心の奥底を覗き込むような言葉が,生徒たちから意見として出ることが望ましい。そのためには教師の補助発問(問い返し)が重要な役割を果たす。生徒とのやりとりで,娘の存在をクローズアップさせる中で京谷さんが「このままでは終わりたくない。」と思うような意見をどんどん取り上げていく。

(4) 展開例

学習活動と主な発問 教師の働きかけ
1 サッカーの日本代表が試合をしている映像から感じたことを話し合う。

2資料を読み,京谷さんの心情について話し合う。

○晴れてJリーガーになった京谷さんはどんなことを考えていただろう。



○ 突然の事故で,サッカーはおろか,車椅子の生活を宣告された京谷さんは,どんなことを考えただろう。



◎ なぜ,京谷さんは,車椅子バスケットでパラリンピックを目指そうとしたのだろうか。

・どんな気持ちを持ちながら練習に励んだか。

3 京谷さんの生き方を通して,自分が考えたことを発表し合う。


4 教師の話を聞く。
・今回の道徳では,あるJリーガーの生き方を紹介するということに触れる。




・高校時代からサッカー選手として有名だった京谷さんがJリーガーとなったときの気持ちをとらえさせる。
・簡潔な言葉でよいので,多くの生徒を指名する。
・そのときの京谷さんの心情を考え,困難に直面した時の人間の本音を挙げさせる。
・もし自分だったら,という視点に立ってじっくりと自分の言葉で発表させたい。

・子どものために頑張ろう,という文章中の言葉を捉えつつ,京谷さん自身の行動がどんな気持ちの表れであるか,考えさせる。
・京谷さんの逆境に立ち向かう勇気についても触れておく。

・主題との関わりで書けるよう,「京谷さんの生き方から学んだこと」について書き,その後,発表し合う。
・京谷和幸さんの講演会での話を紹介し,本時のねらいをかもし出しながら,余韻を残して終える。

(5) 他の教育活動などとの関連

 第2学年では総合的な学習の時間で,「生き方を見つめよう」というテーマのもと,年間を通して学習している。そこでは,働くことの大変さや大切さを知り,自分がどう生きるべきかを考え,そのためには,今の自分に何が必要かを振り返らせることをねらいとしている。さまざまな体験活動で自らの心の変容に気づき,将来の目標に向かって粘り強く取り組む実践的な活動の場がたくさんある。

3 授業のようす
道徳の授業風景
T:京谷さんは立ち直ったんだね。

T:では,なぜ京谷さんは,車椅子バスケットでパラリンピックを目指そうとしたのだろうか。

T:どんな気持ちが,こういう行動を起こさせたのか,を考えてもらいたい。じっくり考えて,ワークシートの「私の考え」のところに書いてください。

T:書いたことを発表してください。

S1:たぶん京谷さんは第2の人生を始めようと思ったからだと思います。

T:もうちょっと,説明できるかな。

S1:京谷さんは今まで1つ1つ積み上げ努力した結果夢はかなったけど,それが一瞬の事故で全てが崩されてしまった。崩されたものは,もう一度積み上げるしかない。そこで,再出発できるよう第2の人生を積み上げていこうと思ったのだと思います。

T:他にどうですか。

S2:まだまだ人生は長い。今の自分にできることをしようと思いながら車椅子バスケットを始め,パラリンピックを目指そうとしたのだと思います。

T:他に。

S3:私は京谷さんにはここで終りたくないという気持ちが強かったんだと  思います。自分にはスポーツしかない,ここでスポーツ人生を終わらせたくないから車椅子バスケットを始めたんだと思います。

S4:私は生まれてきた子供に今の自分の姿は見せたくない,何とか子供にとって自慢できる,誇れるそんな父親になりたいという思いがあったのだと思います。
S5:自分がJリーガーとしてデビューできたのも多くの人に支えられたお陰なので,その人たちのためにも今自分ができることをしようと思ったのだと思います。

T:第2の人生を自分のできることをしようと思った京谷さんだけど,なぜそのような気持ちに踏み切ることができたのかな。

S6:やっぱりかんなちゃんに自分がバスケットをやっている姿を見せたいという思いが強かったと思います。

S7:私もS6さんと同じ考えで,自分がやることもなくて情けなくて泣いている姿より必死で頑張っている姿を見せたと思います。

     


4 生徒の変容のようす

(1) 元Jリーガーという肩書きの人物を題材とした自作資料に対して,生徒は興味・関心をもって授業に取り組むことができた。

(2) 展開部分の教師の発問の場面では,普段よりも生徒たちはじっくり考え,内容の濃い意見を述べることができた。

(3) 価値の主体的自覚の場面では,生徒たちの大半は資料の人物の生き方に共感し,今までの自分を振り返り,これからの自分の生き方に役立てていこうという心情を高めることができた。

   人物の生き方を通して考えさせられたことを話し合う場面での生徒の意見
      (クリックして拡大)

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