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歴史の道調査事業 歴史の道余録

石碑から見える県の歴史

 街道脇に残された石碑は、地域の古い歴史をひもとく道しるべでもあります。

 今回は、水戸市常磐町地内の県道水戸神栖線の地盤改良工事で偶然発見された石碑から見えた本県の隠れた歴史についてお話いたします。

 

 石碑については発見者である県土木部水戸土木事務所から管財課を通じて文化課に鑑定依頼があり、平成23年8月3日(水曜日)、保管されている県三の丸庁舎敷地内において県立歴史館史料学芸部と共同調査を実施しました。

 調査対象は、長さ2メートル、幅50センチメートルの石柱1体、表と裏の各面にそれぞれ文面が残ります。表面は下部が欠落していますが字面は比較的明瞭で、「行幸記念茨城県庁」とはっきり確認できます。一方、裏面は「昭和4年11月14日」の記載は確認できますが、それ以外は摩耗が進み判別しにくい状況です。摩耗した地面の識別のため、摩耗面の拓本をとり、石碑の建立に関わったと見られる12名の人物名が記載されていることが判明しました。

 そこから確認できたこととは何か。

 実は、「行幸記念」「昭和4年11月14日」の記載には解明のための大きな鍵が隠されているのです。

 以下は、今回、中心になって調査していただいた歴史館の折笠史料学芸部長代理兼歴史資料課長がまとめた報告書です。

 

水戸市常磐町で発見された石碑について

1 石碑の文面

▲(左)表面、(右)裏面

 

2 文面の内容

(1) 表面

 ア 行幸について

 昭和4年(1929)11月15日~18日の4日間にわたり陸軍特別大演習(天皇統監のもとに原則として毎年一回行われる大規模な演習)が茨城県で行われた。昭和天皇は、11月14日午後に大本営となった茨城県庁(現在の三の丸庁舎)に到着し、17日の陸軍特別大演習終了後西山荘・太田尋常高等小学校を行幸した。18日は堀原練兵場で観兵式(天皇が兵を整列または行進させて検閲した式)、水戸高等学校で賜饌(天皇から食事を賜ること)が催された。19日から地方行幸が行われ、19日は霞ヶ浦海軍航空隊・鹿島神宮、20日は水戸地方裁判所・水戸地方専売局・弘道館など、21日は常磐神社・好文亭などを訪問した後、同日午後皇居に還幸した。

 

 イ 茨城縣廳正門通について

 石碑の最下部は欠けていて、門の次の字がはっきりしないが、「通」と推測される。『昭和四年陸軍特別大演習竝地方行幸茨城縣記録』(昭和6年3月25日茨城縣)の「縣廳舎前通奉迎送位置要図」に「縣廳正門通り」という記述が見られる。

 

(2) 裏面

 ア 昭和四年十一月十四日について

 前述の行幸の日付である。

 

 イ 氏名等について

 この石碑を建立した人々の氏名と推測される。以下『茨城人名辞書』(大正4年5月30日いはらき新聞社)及び『茨城縣紳士録』(昭和10年8月1日有備會出版部)からその人物の概略を述べる。

 

  • 根本良顕(ねもとよしあき)

生年月日

 嘉永5年(1852)11月7日

住所

 水戸市大町

略歴

 久慈郡太田町に生まれ、明治6年(1873)太田小学校の教員になり、翌7年茨城拡充師範学校の第1期生となる。卒業後再び太田小学校教員となり、13年野口勝一や大津淳一郎等とともに公民会を組織する。17年より31年まで茨城県庁に在職、37年市会議員になり、次いで県会議員となり、兵営設置・専売局設置運動に貢献する。その他種々の名誉職に就く。陸軍特別大演習時には、陸軍少将山田軍太郎の宿舎となる。

 

  • 秋山誠明(あきやまのぶあき)

生年月日

 文久3年(1863)12月23日

住所

 水戸市大町592

略歴

 旧水戸藩魚奉行秋山廣の長男として生まれ、手塚陽軒、自強社で学ぶ。政界では市会議員市会議長を務め、実業界では水戸百四銀行頭取、常陸銀行取締役、常磐銀行取締役、茨城土木工業取締役、茨城瓦斯監査役などを務める。

 

  • 高橋一郎(たかはしいちろう)

生年月日

 明治21年(1888)2月

住所

 水戸市大町590

略歴

 弁護士。久慈郡機初村生まれ、明治39年旧制太田中学卒業、一高を経て大正5年東大法科卒業。大正12年東京で弁護士を開業、同年震災後に水戸市に転居。昭和4年水戸市会議員に最高票で当選、同8年に再選副議長に就任。立憲政友会茨城県支部幹事長。茨城無盡株式会社顧問。

 

  • 萩谷 忠(はぎやただし)

生年月日

 文久元年(1861)10月13日

住所

 水戸市北三の丸水戸監獄宿舎

略歴

 旧水戸藩医萩谷太仲の長男として生まれ、明治16年茨城県立医学校を卒業、21年水戸監獄医に任命される。

 

  • 荒木二郎  記載なし
  • 島﨑武文  記載なし
  • 関雄一郎  記載なし
  • 田谷善七  記載なし
  • 飯野惟三郎 記載なし
  • 市毛初之介 記載なし
  • 石黒軍治  記載なし
  • 小林房吉  記載なし

 

3 石碑の建立について

 石碑の文面によると、大町在住の町務委員根本良顕等を中心とする地元の政治家・実業家等の有志が中心となって、昭和4年の行幸を記念して建立した石碑と考えられる。根本が務めていた町務委員会は、水戸市史によると昭和13年に小学校の通学区を区域として結成され「銃後運動に絶ヘザル活動」をするための組織である。石碑が設置された場所は特定できないが、水戸郵便局から県庁正門までの通り沿いのどこかであろうと推測される。

 

4 まとめ

 この石碑は、茨城県庁(現在の三の丸庁舎)を新築する契機ともなった昭和4年の陸軍特別大演習・地方行幸という、茨城県における歴史的な出来事に関わる文化財である。大演習後80年余り後を経て、文面のほとんどが判読できる状態で見つかったことは奇跡的なことである。三の丸庁舎では、現在水戸生涯学習センターの講堂として使われている部屋の装飾などに、当時天皇の行在所(あんざいしょ・天皇行幸の際の仮の住まい)となった名残が見られる。

 なお、この石碑についての調査はわずか数日間であり、甚だ不十分なものである。建立の経緯や建立した人物、設置された場所等についてさらに研究が深められ、歴史の一断面が解明されるのを望みたい。

 

茨城県立歴史館史料学芸部長代理兼歴史資料課長 折笠修平

 

(左)石碑表面,、(右)石碑裏面

▲(左)石碑表面、(右)石碑裏面

 

『昭和四年陸軍特別大演習竝地方行幸茨城縣記録』

▲『昭和四年陸軍特別大演習竝地方行幸茨城縣記録』

 

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