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平成25年度 歴史の道調査報告 中世部会(第2回)

日時

平成25年8月27日(火曜日)

 

調査員

高橋(専門委員)、内山(調査員)、宇留野(調査員)、前川(調査員)、高村(調査員)、松本(事務局)

 

鎌倉街道(徒歩による調査)午前/桜川ロ-ドパ-ク~二本木橋付近交差点~長方南~中泉~長方~二本木橋~長方街道踏切~追分石~青木神社 午後/岩瀬駅~岩瀬小学校前~足利橋~羽田街道踏切~犬田神社前遺跡~岩瀬駅~熊野神社~御霊様~岩瀬駅

調査の概要

 桜川市内における鎌倉街道は、旧岩瀬町と旧大和村にその大部分が所在しています。今回の調査は、宇留野調査員が、地名、伝承、聞き取り、発掘調査事例等を基に想定した鎌倉街道のル-トについて追跡しました。調査は、残暑の下、徒歩で行いました。距離にして20キロメートルほど歩きました。途中、中世~近世の路傍の石仏等が多数確認できました。また、調査箇所周辺には、街道という地名が数多く存在することも分かりました。
 想定ル-トは、道路幅が4~6メートルほどで、直線的な形態を有したものが多く見られました。また、岩瀬駅から犬田周辺では、土塁状の高まりや、堀割状及び切り通し状の道路等も確認できました。

 

   石塔等の調査(右)

▲現地踏査の様子(左)  石塔等の調査(右)

 

桜川ロ-ドパ-ク~二本木橋付近交差点~長方南~中泉

桜川ロ-ドパ-クから二本木橋近くの交差点を右に折れると、道路幅4メートルほどの道路が直線的に続いています。ここは、かつて岩瀬~大和間において荷車が走っていたといいます。西に向かって200メートルほど歩いていくと、山道が長く続いています。台地の縁辺部を切土して造られており、左手は平場、右手は斜面という地形になっていました。また、途中には、分岐する道がところどころに見られました。しばらく歩くと、急に視野が開けてきて、右手に坂戸城跡を見渡すことができました。

 

かつて荷車が走っていた道(左)   山道が長く続く(右)

▲かつて荷車が走っていた道(左) 山道が長く続く(右)

 

平場の様子(左)   坂戸城跡遠望(右)

▲平場の様子(左) 坂戸城跡遠望(右)

 

 ここから、更に西へ進み、国道50号線を渡って、中泉方面に向かいました。途中、長方方面を右に折れると、道幅10~15メートルほどの堀状の掘り込みが確認できました。地元では「古い道」と伝えられており、古代道の可能性が想定されます。

 

中泉方面へ(左)   古代道の様子(右)

▲中泉方面へ(左) 古代道の様子(右)

 

 古代道の大きさを体感しながら、今度は、中泉観音堂に向かいました。中泉観音堂の敷地内には、馬頭尊や如意輪観音等、近世の石仏や石塔類が確認できました。また、正面には、道標があり、「左 下舘結城」、「右 谷田貝真岡」等の記述が読み取れました。ここには、近世の「結城街道」が通っていました。

 

中泉観音堂(左)   中泉観音堂内の石仏・石塔(右)

▲中泉観音堂(左) 中泉観音堂内の石仏・石塔(右)

 

道標「左 下舘結城」等の記述(左)   道標「右 谷田貝真岡」等の記述(右)

▲道標「左 下舘結城」等の記述(左)  道標「右 谷田貝真岡」等の記述(右)

 

二本木橋~長方街道踏切~追分石~青木神社

 二本木橋の詳しい由来は分かりませんが、おそらく桜川を渡るのに二本の木で渡しをつくっていたことが想像されます。この二本木橋を起点にして、100メートルほど東に向かうと広々とした田園風景が眺望できます。また、右手には、はねだ山や筑波山等のシンボルマ-クを目にすることができます。
 ここには、「鎌倉街道」を思わせる道幅4メートルほどの道が数百メートルにわたって直線的に続き、中世の雰囲気を醸し出しています。
 二本木橋から300メートルほど東に歩くと踏切があります。ここには、「長方街道踏切」という看板が見られました。周辺には、街道という地名が数多く残っているようです。

 

二本木橋の様子   田園風景

▲二本木橋の様子(左)  田園風景(右)

 

 長方街道踏切を渡って、さらに東に500メートルほど歩くと、追分石が確認できました。追分石とは、街道の分かれ道に建てられた道標のことで、旅する人々の道案内の役目を果たしてきました。ちなみに、ここは、青木と上宿それぞれの集落の入口となっています。また、馬頭が道標となっており、「右 あまびき山」という記述が見られました。

 

長方街道踏切(左)   追分石(右)

▲長方街道踏切(左)   追分石(右)

 

岩瀬駅~岩瀬小学校前~足利橋~羽田街道踏切~犬田神社前遺跡跡

 岩瀬駅から西へ100メートルほど進んでいくと、幅3メートルほどの道路が直線的に延びています。その右手には、性格不明ですが、土塁状の高まりが確認されました。また、すぐ西側には、石仏や石塔類の寄せ集めが見られました。

 

土塁状の高まり(左)   石仏・石塔類の寄せ集め(右)

▲土塁状の高まり(左)  石仏・石塔類の寄せ集め(右)

 

 岩瀬小学校を過ぎて学校給食センタ-前を左に折れると、左手の傾斜地に幅4メートルほどの堀割状の道跡が確認できました。道跡は、途中で切れてしまっていますが、南西方向に位置する足利橋に向かっているものと想定されます。足利橋の由来については、分かりませんが、6枚板を渡したといわれています。

 

堀割状の道跡(左)   足利橋(右)

▲堀割状の道跡(左)  足利橋(右)

 

 足利橋を渡って100メートルほど西へ歩くと、追分石が確認できました。そこには、「右 あおき」、「左 あまびき山 つくば」という記述が見られました。追分石を左に向かい300メートルほど歩いて左に折れると、道幅5~6メートルほどの切り通し状の道路が確認できました。この道路の両側は、森林でおおわれており、まさに「森の街道」の雰囲気を醸し出しています。

 

追分石(左)   切り通し状の道路(右)

▲追分石(左)  切り通し状の道路(右)

 

 切り通し状の道路から東に200メートルほど歩くと、源頼義、源義家の伝承のある犬田神社が所在しています。犬田神社すぐ東側の犬田神社前遺跡は、公益財団法人茨城県教育財団によって発掘調査が実施されましたが、戦国時代の集落跡が確認されています。

 また、犬田神社前遺跡のすぐ東側に所在する大神田古墳は「往還」(おうかん:街道、道路)に通ずる地名ということです。 

 

岩瀬駅~熊野神社~御霊様

 岩瀬駅から東に向かって数百m歩いて行くと、右手に熊野神社があります。熊野神社は、1157年に再建とあり、鳥居をくぐって参道を奥に進んでいくと、二十三夜尊や如意輪観音等、多くの石仏や石塔類が確認できました。

 

熊野神社(左)   熊野神社内の石仏・石塔類(右)

▲熊野神社(左)  熊野神社内の石仏・石塔類(右)

 

 熊野神社からさらに東に500メートルほど歩くと、右手に橋本城跡があります。橋本城跡は、1405年に太田伊勢守貞経が築城と伝わる山城です。
 橋本城跡から更に東に400メートルほど歩くと、左手に御霊様があります。御霊様は、祭神・鎌倉権五郎と伝わる祠で、吹き出ものの神様として参拝人が絶えなかったといわれています。標柱には、「御霊塚古墳」とあり、墳頂には、庚申塔や念仏供養塔などが祀られていました。今回は、ここで調査を終了しました。 
橋本城跡(左)   御霊様(右)

▲橋本城跡(左)   御霊様(右)

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