茨城県教育委員会へようこそ学校教育生涯学習・家庭・地域教育芸術文化・スポーツ困ったときは(よくある質問)・教育相談窓口
ホーム > 芸術文化・スポーツ > 芸術文化 > 歴史の道 > 中世第2回調査 鎌倉街道・徒歩による調査 上高津~天川 ~永国台~中~花室川
・車による調査  上高津~佐野子~田中八幡神社~五社神社~真鍋小学校~中貫地区 

歴史の道調査事業 中世第2回調査

日時

平成24年5月20日(日曜日)

 

参加者

高橋(専門委員)、飛田(調査員)、大関(調査員)、宇留野(調査員)、額賀(調査員)、前川(調査員)、比毛(調査員)、松本(事務局)

 

鎌倉街道 ・徒歩による調査 上高津~天川 ~永国台~中~花室川 ・車による調査  上高津~佐野子~田中八幡神社~五社神社~真鍋小学校~中貫地区 

調査の概要

 今回の調査は、調査員の比毛氏から「土浦市内における中世の道」についての調査報告を受け、土浦市内における道路関連遺跡の発掘調査事例、土浦市における中世遺跡の分布、伝承、小字及び周辺に残る史跡から中世の道を追跡したものでした。上高津~花室川に至る調査では、晴天の下、片道3キロメートルを歩きました。途中、中世~近世の五輪塔、石仏、石塔等が確認できました。また、天川~永国台に向かう300メートルほどの山道は、竹や杉でおおわれた小径(こみち)をたどるもので、当時の景観をしのばせていました。

  比毛氏による調査報告   現地調査の様子

  ▲比毛氏による調査報告                 ▲現地踏査の様子

 

上高津~天川~永国台~花室川(徒歩による調査)

上高津貝塚ふるさと歴史の広場を出発して東に300メートルほど歩いていくと、急に道が狭くなりました。道幅は、3~4メートルほどで田に沿って左右にクランクしています。地元住民によると、この道は、昔からの古道だそうです。上高津のバス停を過ぎて100メートルほど南下していくと、大杉神社がありました。ここは、航海安全と疱瘡(疫病)除けの神様です。この神社に伝わる「大杉ばやし」は江戸時代から伝えられているもので土浦市指定無形民俗文化財です。鳥居前には、中世の五輪塔が確認できました。
  古道の様子   大杉神社

  ▲古道の様子                       ▲大杉神社

  大杉神社前の石仏等   大杉神社鳥居前の五輪塔

  ▲大杉神社前の石仏等                  ▲大杉神社鳥居前の五輪塔

 

 ここから、更に400メートルほど南下すると、古道が分岐します。この古道両脇には、「宮脇B遺跡」、「寄居遺跡」、「うぐいす平遺跡」等が所在し、発掘調査が実施されています。「宮脇B遺跡」では、全長24メートルほどの中世の堀跡が確認され、堀の中から橋脚のような柱穴が見つかりました。また、「寄居遺跡」、「うぐいす平遺跡」では、中世の溝跡、掘立柱建物跡が確認され、周辺には、中世の遺跡が密に分布しています。
  古道の分岐点   宮脇B遺跡
  ▲古道の分岐点                      ▲宮脇B遺跡

 ここから、更に南下を続けると、横川用水の東に接して小さな塚が並んでいました。この塚は、「宮脇庚申塚」と呼ばれ、塚の上の石碑は、最も古いもので江戸時代後期(18世紀後半)、新しいもので昭和55年と読み取ることができます。

  昭和55年の庚申塔   庚申塔

  ▲昭和55年の庚申塔                   ▲庚申塔

 

 つくば市と土浦市の境界線を左に折れ、ゴルフ練習場に沿った山道を歩いて行くと、数百メートルにわたり堀割状の道が確認できます。この両側は、杉や草木でおおわれており、中世の道を想定させる「森の街道」です。山道がとぎれた右手には、「地蔵菩薩」を転用したと思われる道標が確認できました。「地蔵菩薩」の表には、「右永国」、「左○○」と道筋を示す記述が読み取れました。また、裏には、「安政四年」と読み取れました。

  堀割状の道      地蔵菩薩

  ▲堀割状の道                       ▲地蔵菩薩 

 

 ここからは、新興住宅が建ち並ぶ「永国台」です。以前には、近世の永国十三塚遺跡が所在した場所です。永国団地を左に見ながら更に南下を続けると、字名「高野」「大門」「古堤」と呼ばれる場所があります。ここには、「大聖寺」があります。創建は、995年、醍醐寺成尊僧都により開山したのが始まりと伝えられています。当初は、今泉寺と称し、現在の亀井墓地近辺にありましたが、1374年領主である小田城主小田孝朝によって小田領四ヶ寺(晋門寺・大聖寺・法泉寺・南円寺)が制定され、今泉寺もその1つとなった為、大聖寺と改めました。この南側には、幅2~3メートルほどの「源兵衛橋」が所在し、徒歩による調査は、ここで終了し、片道3キロメートルを折り返しました。

  大聖寺周辺の様子     源兵衛橋

  ▲大聖寺周辺の様子                   ▲源兵衛橋   

 

上高津~佐野子~田中八幡神社~五社神社~真鍋小学校~中貫地区(車による調査)

 上高津貝塚ふるさと歴史の広場を出発して、車で10分ほど北上すると、「佐野子」という地区があります。この田圃の一部は小高くなっており、現在、地区の共同墓地として利用されています。この中に、中世のものと考えられるひときわ大きな五輪塔があります。この五輪塔を中心とした墓地の形態は、西日本の「惣墓」に似ており、この地域ではあまりみられないものです。

   ひときわ大きな五輪塔       石仏や五輪塔

  ▲ひときわ大きな五輪塔                  ▲石仏や五輪塔

 

 佐野子から水神橋を渡って、車で10分ほど東へ向かっていくと、「田中八幡神社」があります。創建は、1153年で誉田別命を祭神としています。鳥居付近には、二十三夜塔が横たわっており、文化十二年(1815年)の銘がありました。鳥居をくぐって、右手を見ると、不動明王種子塔「カンマーン」が確認できました。裏手を見ると、「宝暦三 癸酉 五月 田中 願主 光天」と読み取ることができます。また、社殿内にある一対の石造灯籠は、「土浦市指定文化財工芸品」で、花崗岩で作られており、極めて簡素で珍しいものです。

  田中八幡神社の鳥居   田中八幡神社の社殿 

  ▲田中八幡神社の鳥居                  ▲田中八幡神社の社殿

  不動明王種子塔「カンマーン」   社殿にある一対の石造灯籠 

  ▲不動明王種子塔「カンマーン」             ▲社殿内にある一対の石造灯籠

 

 田中八幡神社から更に車で5分ほど東へ向かっていくと、「五社神社」があります。ここには、「常陸大掾平國公遺跡之地」と書かれた石碑があり、土浦を開発した領主・平国香を祀っていたといわれています。

  

   五社神社の説明版     五社神社の石碑 

  ▲五社神社の説明版                   ▲五社神社の石碑

 

 五社神社から北東へ車で10分ほど走っていくと、土浦市立真鍋小学校があります。本校の校舎中央には、樹齢およそ100年の県指定天然記念物「真鍋のサクラ」5本が所在します。明治時代グラウンドの隅に植えたものが、後にグラウンドが拡張されて真ん中になったという経緯があるそうです。この校舎裏手の階段をクランク状に下りていくと、「鎌倉街道」と思わせる道幅3mほどの小径が続き、中世の雰囲気を醸し出しています。また、真鍋小学校校庭では、以前に発掘調査が行われており、中世の掘立柱建物跡等が検出されています。
   真鍋小学校下の古道    旧鎌倉街道の掲示板 

  ▲真鍋小学校下の古道                  ▲旧鎌倉街道の掲示板

 

 真鍋小学校を車で15分ほど北上していくと、中貫地区があります。この地区の小字には、「鎌倉」が所在し、「鎌倉街道」の存在を推測させます。また、この小字「鎌倉」に沿うようにして、道幅2~3メートルほどの小径が神立町に向かって延びています。今回は、ここで調査を終了しました。

  中貫地区の様子    神立町に向かう小道 

  ▲中貫地区の様子                     ▲神立町に向かう小道

 

お問い合わせ

〒310-8588 茨城県水戸市笠原町978番6 茨城県教育庁 総務企画部 文化課[県庁舎21階]

電話 029-301-5447(文化財担当)  FAX 029-301-5469

E-mail bunka@pref.ibaraki.lg.jp