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歴史の道調査事業 中世第1回調査

日時

平成24年2月28日(火曜日)

 

参加者

高橋(専門委員)、宇留野(調査員)、高村(調査員)、額賀(調査員)、前川(調査員)、森木(調査員)、藤井(調査員)、菊池(茨城大学)、泉田(茨城大学)、山川(茨城大学)、中村(利根町)、二月(利根町)、後藤(事務局)、松本(事務局)

 

鎌倉街道(第2回) 布川城~徳満寺 ~琴平神社~来見寺~布川神社~フルケイド~泉光寺~八幡神社~根本寺~蛟つち神社

調査の概要

今回の調査は、前半に前川氏(調査員)から「利根町の鎌倉街道」について、調査報告を受けました。報告の内容は、古文書、地形、周辺に残る史跡、古老からの聞き取り等を基にしてルートについて追跡調査をしたものでした。後半は、前川氏の報告を検証するために、現地踏査を実施しました。今回調査する鎌倉街道の道筋の中でも、八幡神社から根本寺に残る約700mの古道は、竹や杉でおおわれた小径(こみち)をたどるもので、当時の景観をしのばせていました。

 

調査の概要

 

 

布川城~徳満寺~琴平神社

千葉県との県境、利根川にかかる栄橋手前の高台に徳満寺があります。ここは、戦国時代に豊島氏が拠点とした布川城本丸跡であり、土塁、空堀、土橋、馬出し等、中世城館の縄張の工夫が確認できます。境内には、「茨城百景 大利根の展望」という石碑が建立されており、西側から利根川が一望できます。徳満寺の本尊は、「建久五年(1194年)」銘の金銅板両界曼荼羅(国重文)です。これは、9枚の金銅板からなる全国でも大変珍しいもので、運慶の一子湛慶の作といわれています。本尊は、現在、東京国立博物館に寄託されています。
徳満寺のすぐ西側には、琴平神社があります。この神社の創建は不詳ですが、利根町史に天明6年(1786)再建とあり、それ以前の建造物と想定されます。入口付近には、道標があり、「西 とりで み川(つ)かいだう」と読むことができます。石段を上がると、鳥居が2つあり、その途中には、庚申塔など近世の路傍の石仏が確認できました。

 

琴平神社
▲琴平神社

 

 

来見寺

徳満寺から500mほど東に歩くと、来見寺があります。この寺は、1560年(永禄3)布川城主豊島頼継によって創建されました。当初は、頼継寺といいましたが、徳川家康の上意によって名が改められたといいます。入口には、来見寺の建造物の中で最も古い赤門があります。これは、利根町指定有形文化財で、徳川家康ゆかりの寺ということから、特別に赤く塗ることを許されたという言い伝えがあります。寺に入ると、中世~近世にかけての五輪塔、宝篋印塔、石仏、石塔等が多数確認できました。

 

来見寺
▲来見寺

 

 

布川神社

来見寺から300mほど東に歩くと、布川大明神で親しまれる布川神社があります。ここは、鎌倉時代に豊島氏によって建立されました。鳥居を抜けて数段上ると、右側に近世の路傍の石仏が数点確認できました。石段を上り切ると、「神功皇后と武内宿袮絵馬」、「宇治川先陣争い絵馬」、「天の岩戸絵馬」と書かれた3つの標柱が目に入ります。いづれも布川神社に所蔵されている絵馬の名前です。時期は、江戸時代末期のものと考えられます。
また、正面の布川不動堂には、「木造不動明王坐像」、「木造大日如来坐像」がまつられています。いずれも寄木造りのもので、鎌倉時代から南北朝時代に造られたものといわれています。ここでは、元禄の頃から明治末にかけて尋穜(つく)の舞が行われていたそうです。尋穜(つく)とは、雨蛙の面をつけ、竹弓をもった舞人が柱の上にのぼって舞をまうというものです。

 

布川神社
▲布川神社

 

 

フルケイド

布川地区の北側には、「中田(なかた)切(ぎり)」という地名が所在します。この地域には、源義経の伝承があるそうです。義経が兄頼朝に追われて奥州に逃げる際、この地域を通ったというものです。稲荷大明神に沿った一角には、文字通り、田を区切るようにした幅2mほどの古道が確認できました。ここで、古老から聞き取り調査を実施したところ、この古道は、「フルケイド」と呼ばれ、「古街道」から由来したものだということです。また、稲荷大明神内の傍らには、庚申塔や供養塔などの石塔が13基、道祖神が2基確認されました。庚申塔は、関東各地の鎌倉街道沿いによく見かける石塔であり、古道の所在を想定させるものです。

 

フルケイド
▲フルケイド

 

 

泉光寺

もえぎ野台の住宅地を横に見ながら切り通し状の山道を北に向かって上がっていくと、泉光寺があります。この寺の本尊である木造観世音菩薩立像は、素木(しらき)づくりで鎌倉時代から室町時代初期の作品といわれています。同様に、山門である仁王門の両脇に安置された金剛力士像は鎌倉時代の作品であり、これらの優れた作品からは、鎌倉時代の一端がうかがえます。仁王様の前には、多くの「わらじ」が下げられており、旅の無事を祈る当時の民間信仰が再現されています。山門をくぐると、本堂を挟むように大きな木が立ちそびえ、これも時の流れを感じます。参道脇には、宝篋印塔や石塔群が多数並び中世~近世の雰囲気を醸し出しています。

 

泉光寺
▲泉光寺

 

 

八幡神社~根本寺

泉光寺から東に向かって500mほど行くと、八幡神社があります。八幡神社の入口には、「鎌倉街道」の案内板が設置されていました。この鳥居の右側から奥に進んでいくと、根本寺裏山までの約700mにわたり堀割状の道が確認できます。この両側は、竹でおおわれており、まさに「森の街道」といえます。古道の途中には「中世の道 鎌倉街道」と書かれた旗がところどころに設置され、道案内となっています。また、しばらく歩くと、古道脇に庚申塔が確認でき、かつてそこが街道であったことがうかがえます。

 

(左)街道の様子、(右)庚申塔
▲(左)街道の様子、(右)庚申塔

 

 

蛟つち神社

新利根川の北側、利根町立木の台地上には、「文間大明神」で親しまれる「蛟つち神社」があります。「蛟つち」とは、水神を表し、文間の台地が水を分けて進む水蛇に似ていることから名付けられたといいます。平安時代の『延喜式』神名帳に「相馬郡一座蛟つち神社」とある式内社で、西にある門の宮と、500mほど東側の奥の宮の両社からなります。門の宮のある場所は、縄文時代後期の立木貝塚であることから、周囲が海であったという縄文時代の様子がうかがえます。今回はここで調査を終了しました。

 

(左)奥の宮の様子、(右)門の宮の様子
▲(左)奥の宮の様子、(右)門の宮の様子

 

 

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