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歴史の道調査事業 近世第9回調査

日時

 平成24年1月7日(土曜日)

参加者

 小野寺(専門委員)、長谷川(調査員)、橋本(調査員)、藤井(調査員)、大嶺・有賀(茨城大学)、石井(事務局)

 

日立市助川町~鹿島町~宮田町~滑川町地内

調査の概要

 今回の調査は、「助川海防城」の大手門付近に当たる日立市立助川小学校を起点として、国道6号線を北上しました。周辺は日立市の旧中心街に当たり、戦前の日立鉱山や日立製作所の社勢伸張に伴う都市化や、太平洋戦争による空襲や艦砲射撃など三度に及ぶ戦災の影響を受けたことから、古い町並みは残っていません。さらに、昭和60年代から始まった日立駅前開発に伴う中心市街地の移転や、近年では人口減などの社会的要因も重なり、シャッターを降ろしたままの商店等も多く、人通りも少ない状況での調査になりました。

 

「助川鹿嶋神社」(日立市鹿島町2丁目4番4号)

 国道6号線沿いにある鳥居をくぐり比較的長い参道を進むと旧助川町の鎮守である助川鹿嶋神社があります。市内に多くある鹿嶋神社の1社ですが、社殿は街道筋に向いて鎮座(このため海側に背を向けています)し、比較的広い境内や端正な社殿は、往時の華やかな雰囲気をしのばせてくれます。

「助川鹿嶋神社」(日立市鹿島町2丁目4番4号)

▲「助川鹿嶋神社」(日立市鹿島町2丁目4番4号)

 

「助川ささら」(助川鹿嶋神社敷地内)

 助川ささらは、正式名称を助川佐々羅とし、助川佐々羅保存会により伝承されており、市内にあるほかの宮田・会瀬・成沢・諏訪・大久保・水木のささらとともに県の無形民俗文化財に指定されています。助川鹿嶋神社の祭典に奉納されるものですが、德川光圀の命により現在の神峰公園下にある神峰神社が宮田・助川・会瀬3か村の鎮守と定められたからは、神峰神社の大祭において宮田・会瀬ささらとともに、ささら舞を奉納しています。

「助川ささら」(助川鹿嶋神社敷地内)

▲「助川ささら」(助川鹿嶋神社敷地内)

 「助川ささら」保管庫の左のひとまわり大きな保管庫には「旧助川西上町舞屋台(山車1台)」が保管されています。助川鹿嶋神社の祭礼で町内をひき歩きされる祭屋台です。

 往時の旧助川町では、西上町のほか本東町・中下町・南町の4町がそれぞれ祭屋台を奉納していましたが、西上町の祭屋台1台だけが戦災による焼失を免れたものです。日立市の指定文化財になっています。 

 

旧助川宿本陣「長山家」

 岩城相馬街道に面した助川宿の本陣「長山家」について表示した案内板がありました。破風づくりの豪壮な玄関前で末裔の方が居並ぶ写真がありました。長山家は佐竹氏ゆかりの名家であり、水戸藩政下では郷士として德川光圀もたびたび同家を訪れたことが記録されています。昭和20年7月の空襲で焼失したとのことです。

旧助川宿本陣「長山家」

▲旧助川宿本陣「長山家」

 

助川町3丁目の馬頭観音

 国道6号線を山側に入り、日立電線(株)の電線工場から山根ゴルフ場に向かう市道上に20数体の馬頭観音が寄せ集められています。江戸時代中・後期から昭和初期にかけて建立されたことがわかりました。

 農耕や運搬の使役を目的として飼われた馬の安全や供養を目的に建立したと思われます。近くには石灰石を産出する市内有数の山があり、運搬道の沿道になっていることから、往時は、馬による石灰石の搬出が行われていたのでしょうか。 

 

助川町3丁目の馬頭観音

▲助川町3丁目の馬頭観音

 

平和通りのさくら並木

 国道6号線の常陽銀行日立支店前を右折して日立駅方面に向かう道路が県道日立停車場線(通称「平和通り」)です。ここから延長約1キロメートルにわたってソメイヨシノの桜並木が続きます。さくらのまち日立を代表するさくら並木です。この通りにさくらが最初に植樹されたのは昭和26年、爾来、60年にわたって広く市民に親しまれてきました。

平和通りのさくら並木

▲平和通りのさくら並木

 

 今回は、このあと滑川町付近まで調査を行いました。

 

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