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歴史の道調査事業 近世第14回調査

日時

平成24年3月10日(土曜日)

 

参加者

小野寺、長谷川、平岡、石井、高野(事務局)

 

岩城相馬街道 関南町神岡上(神岡宿)~ 勿来港(九面浜)

調査の概要

今回は、先週に引き続き関本から南下し、神岡宿周辺を中心に調査を実施しました。最後に、平潟洞門の先にある九面浜(勿来港)を最後に調査しました。

 

関本下の馬頭観音

岩城道中記に「かち渡りし川有、里根川といふ」とありますが、県道里根神岡上線の里根川に架かる橋のすぐ南西に、馬頭観音の石塔(昭和四年建立)が見られます。道中記の書かれたころ、徒にてこの川を渡る旅人の姿が偲ばれます。

 

馬頭観音の石塔
▲馬頭観音の石塔

 

神岡宿の中ほどにある稲荷神社

「‥宿中程右の方にいなり明神社有」(岩城道中記)の記述どおり、街道沿い東側に下の石柱と鳥居が見られます。境内を奥にすすんだ左手に、岩城便宜の中で「正一位稲荷大明神有」と記された社が現れます。

 

稲荷神社
▲稲荷神社

 

大菊屋跡(庄屋)・小菊屋跡(宿継問屋)

その稲荷神社と街道を挟んだ向かい側に、神岡宿の“大菊屋、小菊屋(新家)”があったとされます。現在空き地となっている場所に、庄屋で造酒屋を営む“大菊屋”が、その南隣には宿継問屋(といや)を営む“小菊屋”がありました。問屋とは人馬継立所とも呼ばれ、一定の人馬を保有し、参勤交代で泊まる大名の荷物などを次の宿場まで運ぶことを命じられた商家を指します。現在も、小菊屋はその子孫菊池氏により継がれており、残存する厩と石蔵が往時の問屋の名残をとどめています。

 

(右)大菊屋のあった跡地(前が小菊屋)、(左)小菊屋(正面から入った右奥に厩)
▲(右)大菊屋のあった跡地(前が小菊屋)、(左)小菊屋(正面から入った右奥に厩)

 

(右)「新家 大菊屋」(小菊屋)の表札、(左)厩内の様子
▲(右)「新家 大菊屋」(小菊屋)の表札、(左)厩内の様子

 

宿本陣近くの石塔群

小菊屋の南にある神岡上第四班集会所には、馬頭観世音や信仰対象となるものなど

 

宿本陣近くの石塔群
▲宿本陣近くの石塔群

 

さまざまな石塔が20基ほどまとめられています。この集会所の西側には、大菊屋,小菊屋の菊池家墓地が所在していることから、このあたりが『水戸岩城道中覚』(1772年)にある「‥町ノ中西側也、本陣ニ成ル 常徳院」とも考えられますが、残念ながら定かではありません。

 

九面(ここづら)の浜(勿来港)

岩城相馬街道の調査の締め括りとして、勿来町九面の地を訪れました。
「‥くろ浦の山根を通り嶮岨なる山へかかり此山を漸下りて九面の浜民家へ出る‥」
平潟港から洞門跡の坂道を越え、右手にすすむと九面の港に出ます。当時、この浜も平潟港と同様に“風待ちの港”としての役割を果たしていました。ここから周囲を見渡すと、海沿いは高さ数十メートルの断崖となっており、当時平潟の港へ向かうためには、どうしても嶮岨なる山を越えなくてはならなかったことがわかります。

 

(左)九面の浜から海側を望む、(右)九面薬師堂(津神社)より
▲(左)九面の浜から海側を望む、(右)九面薬師堂(津神社)より

 

本年度の調査は今回で最後となります。次年度は、石岡から南の水戸街道を中心に調査を進める予定です。

 

 

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