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中尊の薬師坐像はヒノキ材の木造(割矧造)で、像高137.8センチメートル、螺髪、両眼、口、頬の肉付けなど力強い厳しい表情、胸前肉取りも厚く、骨太の量感豊かな状況が見とれる。
ただ衣文にはなめらかなおとなしい平安時代の様式も見られる。
構造は頭,身体部とも前後二材で作り、両耳の後で前後に割矧き、内矧りをしている。
これらは鎌倉時代初めの技法と思われる。
その像内に平安時代の作とみられる銅造薬師坐像(像高4.3センチメートル)が納められている。
光背は、当初からのものは二重円相で、周縁の牡丹唐草透彫と光脚は後世の補作で、とくに台座(下敷茄子と獅子形)は室町時代の作と思われる。
両脇侍像は一材のスギ材で、前後の割矧も中尊とは作風が相異し、鎌倉時代の様風を示しているが、それよりも年代は降ると思われる。
薬師坐像は、石塚氏が佐竹氏の命により新治郡片野(現八郷町)に移ったとき、同地へ曳寺となった佐久山浄瑠璃光寺の本尊であったという。
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