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陸平貝塚は,明治12年に,当時東京大学の学生であった佐々木忠次郎,飯島魁両氏によって調査が行われ,日本人による最初の学術調査として歴史に名を残している。
貝塚は霞ヶ浦南岸の標高20〜30mの独立した台地に,縄文時代早期から晩期までに形成された大規模なものである。昭和62年に組織された陸平調査会の調査により,8か所の貝塚が東西約250m,南北約150mの台地を取り囲むようにして形成された環状貝塚であることが確認された。
貝はハマグリを主体としてシオフキ,オキシジミなど,魚骨ではクロダイ,スズキ,獣骨ではイノシシ,シカなどが検出されている。道具類としては,土器以外に石皿,石鏃,磨製石斧,骨角器,石錘など多様な出土物があり,様々な海や山の幸を食料としていたことがわかる。また,台地平坦部からは竪穴式住居跡などが出土し,当時の人々の生活の場が明らかになっている。
この貝塚は,形成された時間的幅の広さと,台地全体をしめる規模の大きさにおいて,霞ヶ浦周辺に約180か所ある貝塚を代表する貝塚として重要である。 |