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大化の改新以後に設けられた郡役所の跡で、新治廃寺跡の南200〜300mに位置している。
1941年(昭和16)と1943年の二度にわたって調査が行われた。
建物跡は4群に分かれ、北部群25棟、西部群9棟、東部群13棟、南部群4棟の計51棟が検出された。
これらの建物跡は、版築がなされており、一部に礎石の存在が認められた。
この建物跡のなかで、「日本後紀」の記事と符号する遺構が認められた。
「弘仁八年冬十月癸亥。常陸國新治郡災。焼不動倉十三宇。穀九千九百九十斛」の記事と、東部建築群の13棟がこの内容と合致する。
東部建築群跡からは炭火材とともに焼き籾が発見されており、これが不動倉の跡と考えられている。
西部建物群は郡家跡、北部建築群と南部建築群は倉庫跡とみられる。
指定面積は,116,615u(約11.67ha)である。 |