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県指定文化財 史跡
ごかくどう わどけい

五角堂と和時計

 五角堂と和時計は、当時民間の科学者であった飯塚伊賀七の創作によるものです。伊賀七は飯塚家十六代の主で、宝暦12年(1762)3月29日に生まれ、数理に明るく発明心に富んだ人物でした。「からくりの伊賀七」と今も町の人々に語りつたえられています。
 大時計を取り付けた五角堂は、門の右側にあり一辺4.6mの正五角形の建物で、中心の高さ6mですが、いつ頃作られたかについては記録がなく不明です。しかし、時計を作る以前に作られたことは明らかです。当時困難とされていた奇数辺形の建築法を解決し、単に時計のみ堂に取り付けたばかりでなく他の発明品も次々と備えつけたことであろうと思われます。
 時計については、部品の各所に記されている製作年号により推定すると、文化末年(1817)頃から計画され、数年を要して文政5年(1822)頃完成したようです。伊賀七、55歳から61歳にかけてのころです。原動力は、コハゼハジキコハゼバネのついた糸巻車が取り付くようになり、それに重錘をつりさげました。動力としてその錘は砂か、石であったろうと推測されます。心臓部分である脱進機は、冠型脱進機と同原理のものを用い、調速機は棒テンプを使用しています。文字板については、定時法文字板1個、不定時法文字板13個、定時法文字板は、回転し、表面は初刻~百刻に目盛りしてあり、不定時法文字板は、定時法文字板の軸に取り付けられ両文字板は同一に回転され、表面は12に刻まれ、裏面には24本の鉄ピンがあります。当時は季節によって昼夜の時刻が変化し、これを調節するため13板から構成されています。
 これらには使用する月日が指定してありますが、当時は陰陽暦を用いたため、季節と月日は一致しないため、年毎に使用月日を書き換えたようです。
和時計は、文政年間製作されて以来五角堂とともにあったものであり、それらは一体として飯塚伊賀七という一地方の科学者の遺跡として本県では注目すべき存在です。

 

地図

 

五角堂と和時計

 

指定年月日 昭和33年3月12日
所在地 つくば市谷田部
管理者 つくば市

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