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鹿の子遺跡は,石岡市鹿の子1丁目8,994番地ほかに展開する奈良時代から平安時代初期にかけて営まれた集落遺跡である。遺跡は,石岡市街地の北西約2kmにあり,柏原池を水源とする山王川右岸の平坦な台地上に立地する。
遺跡は日本道路公団による常磐自動車道建設にともない同公団の委託を受けて,茨城県教育財団が昭和54年から同57年にかけて発掘調査を実施した。漆紙文書は,工房跡と思われる遺構や竪穴住居跡などを覆う土層中から出土した。
鹿の子遺跡は,発掘調査の結果からみると,かなり大規模な集落跡と考えられる。しかし,発掘調査の範囲が,道路建設にかかわる部分に限定されていたことやその周辺の補足的な調査が不十分であるために,鹿の子遺跡の全容を把握するに至っていない。とはいえ,いままでに明らかにされた鹿の子遺跡は約100,000平方メートルに及ぶ範囲に,溝によって区画された2つの遺構群の存在が確認されている。それらは,官衙ブロック,居住・工房ブロックとに区別しうる。遺跡全体の年代は奈良時代後半期から平安時代前半期にかけてとみられ,全体が4期に編年されている。
漆紙文書は,そのほとんどが居住・工房ブロックから発見された。漆紙文書は国庁などで用いられた帳簿類が反故紙として払い下げられ,漆容器の蓋紙として再利用されたものが多い。内面に漆が付着した土器や生漆を漉した布などの出土もあるので,漆を用いる作業が居住・工房ブロック内で行われていたことが推定される。
漆紙文書には,計帳,戸籍,調帳,出挙帳,検田帳,兵士自備戒具検閲帳,具注暦,人口集計文書などがある。特に具注暦は延暦9年のもので,出土品としては我が国
最初のものである。また人口集計文書からは,奈良時代末期ごろの常陸国の人口が約22万人ほどと推定できることなど,律令末期の地方行政の実態を知る基礎的な資料となっている。
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