県指定文化財 絵画
しほんちゃくしょく しゃからかんぞう
せっそんしゅうけいひつ さんぷく
紙本著色 釈迦羅漢像
雪村周継筆 3幅
指定年月日
平成17年11月25日
所在地
石岡市柿岡2136番地
管理者
善慶寺
制作時期
室町時代
〔法量〕 中幅 縦123.9cm 横56.2cm
左幅 縦123.8cm 横56.2cm
右幅 縦124.0cm 横56.3cm
〔解説〕 善慶寺は,佐竹氏の一族長倉義春によって,延元元年(1336)長倉(常陸大宮氏長倉)に創建されたが,文禄4年(1595),長倉が柿岡城主に任じられると,義興は柿岡の地に八幡神社と善慶寺を建立した。その折,長倉家に伝来した雪村周継筆の釈迦羅漢図が,善慶寺に納められたと思われる。雪村周継は,永正元年(1504),佐竹氏の一族として現在の那珂郡大宮町に生まれ,禅僧となって会津黒川城主の蘆名盛氏のもとで活躍,ついで1550年には小田原の早雲寺の僧大室宗碩(だいしつそうせき)らの求めに応じ,その師の肖像「以天宗清(いてんそうせい)像」を描いた。しばらくの間は小田原・鎌倉に逗留し,北条氏政の庇護のもとに中国画を始め画業に励んだ。弘治年間(1555-58)の頃には,鹿島神宮を経て奥州に向かい,会津や三春を中心として旺盛な作画活動を行った。
雪村は,特に雪舟の画風を慕い,その筆法を消化して自ら宋・元の山水道釈人物の画法を学び,雪舟と異なる動的作風を創始した。雪村の画風は,花鳥画から山水画に至るまで非常に幅広い。最大の特色は力強い筆の運び,ダイナミックな画風にある。代表作としては,「風濤図」「松鷹図(まつたかず)」「呂洞賓図(りょどうひんず)」などが挙げられる。雪村は,鎌倉建長寺の祥啓とともに,関東水墨画の中心的な作家と評価されている。没年は不明であるが86歳の款記作品がある。
釈迦羅漢図は,中幅に釈迦と迦葉(かしょう)・阿難,左右幅にそれぞれ五羅漢を描く。中央に釈迦を描く3幅対ならば,左右には普賢菩薩・文殊菩薩を組み合わせるところだが,雪村は羅漢を描いた。しかも十六羅漢ではなく,十羅漢という珍しい組み合わせである。各幅には隠し落款風に「雪村」の款記を入れている。
個々のモチーフの特色としては,まず左右幅の羅漢の顔貌の表現があげられる。上方を仰ぎ見る大げさな表情,眼を剥く表情は,雪村の人物画の代表作「呂洞賓図」(大和文華館)に通じ,一方で瞑想的な表現は,71歳作の「竹林七賢図屏風」(畠山記念館)に近似する。このような人物表現を,雪村は中国南宋代の画家の周季常筆「五百羅漢図」(100幅)に学んだ可能性が高い。この「五百羅漢図」は,現在は大徳寺やボストン美術館等に所蔵されているが,雪村の時代には,北条氏の
菩提寺の早雲寺に所蔵されていた。雪村は「五百羅漢図」をここで学んだものと思われる。また,岩や山岳,奇矯な形態の崖の表現も,雪村特有なものである。左幅の竜は,「呂洞賓図」の上方の竜の表現にかなり近い。このようなことを勘案するならば,当該作品の制作は,「呂洞賓図」より少し前の時期で,釈迦羅漢図の作画体験を経て「呂洞賓図(ろとうひんず)」等の作品が形成されたと思われる。具体的には,小田原,鎌倉に逗留した以降の年代,すなわち奥州を拠点としていた時代の作と思われる。それは,長倉家では義興の父義当あるいはそれ以前の代に当たる。本県では数少ない,雪村の落款を持つ中世仏画として貴重である。
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